靈鷲山 善光寺 葛飾組 143 |
|||||||||||||||||||||
当山の一帯は、もと小金ヶ原という曠大な牧野であったが、明治維新の際、開墾されて新開地となった。小金東漸寺の碩学静譽大康上人は、この地に寺院がなく新開地の住民の仏法に潤う機会のないのを嘆いて、新寺建立を念願されていたが、在世中には実現できず入寂されたので、その師意を継承された佛陀禅阿辯榮上人は、単身この地に止 | |||||||||||||||||||||
錫して幾多の困難に堪え、ついに明治24年、新寺を建立し「霊鷲山善光寺」と称した。 以来、辯榮上人は寧日なき巡教精進を重ねられ、国内はもとより朝鮮・満州にまで光明主義を明示して、大乗仏教精神を現代に生かされた。今日、財団法人光明修養 |
|||||||||||||||||||||
会として全国的な組織のもとに光明主義が実践されている。 | |||||||||||||||||||||
4 | |||||||||||||||||||||
(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 霊鷲山 善光寺 03.03.10掲載) |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
Copyright (c) 2003-2011 Jodo-Syu Chiba-Kyoku, |
|||||||||||||||||||||