竹林山 南龍寺 (文殊院) 葛飾組 138 |
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当山は、元和元年(1615)寂蓮社尊誉霊哲上人による開山。檀林東漸寺の末寺として名を連ねていた。元禄12年「起立書」後藤家文書によれば、寛文9年字荒屋敷の現在地に移転とある。境内には、本堂、客殿、観音堂、表薬医門、厨舎があり、本堂、客殿は檀信徒の拠出により平成7年建て替えが終わり落慶した。観音堂は相馬八十八ヶ所二十六 | |||||||||||||||||||||
番札所の大師堂ともなっている。 地区内には寺の末庵として阿弥陀堂がある。その由来概略は、浄土宗記主禅師、茨城より江戸への往復、この地の道俗を教化せしの地にして(現在この近辺の字地 |
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名を本願と呼ぶ)その教化を受け足るもの今の地に建立せしものなり、とある。 歴代上人墓地には、寺子屋の生徒によって建立された第十九世注誉連明の筆子中がある。明治5年学制が公布され翌年には南龍寺を仮校舎として天真学校が開校され、のちには公立布施小学校と名が変わり移転、現在の柏私立富勢小学校となる。 寺に残るものとして、応安2年「敬白浄土宗 |
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白旗流義安心式定の」がある。血判を押し名を連ねる地元旧家は代々総代世話人として現在にいたっている。 他に応安年中(1368〜75)の銘がある板碑(土谷津本願寺跡)を保管する。 |
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(竹林山 南竜寺 文殊院 03.03.10掲載) |
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