寶泉山 長流寺 (廣濟院) 葛飾組 134 |
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当寺の開山・了蓮社覺譽上人大信和尚は、伊勢国の生れであるが、東国布教のため慶長11年(1606)、流山村に錫をとどめた。その頃、村の東南に「観音松」とよばれる老木があり、覺譽上人はこの松の下に草庵を結んで布教していたといわれる。翌12年、本寺である東漸寺八世・霊譽上人によって山号を「寶泉山」、寺号を「長流寺」と称するよう命 | |||||||||||||||||||||
ぜられた。覺譽上人は在住13年間、元和5年7月16日に寂された。 その後、十四世・眞譽上人の代の天保7年(1836)10月29日、夜半の出火により、堂宇は全焼し、古文書・什物等一切を失ったといわれる。この火災は、最近、流山市史 |
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資料調査の際、市内芝崎吉野家文書・「天保七年日記帳」によって事実であることが明らかになった。再建は元治元年(1864)であることが善導大師像奉安の壁裏に墨書されている。なお当寺開創以来、本年(1982)で375年を経過したことになる。 | |||||||||||||||||||||
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 宝泉山 長流寺 広済院 03.03.10掲載) |
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