東光山 医王寺 (安樂院) 葛飾組 133 |
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手賀沼近くの堂作にあった旧薬師堂が前身で新たに薬師如来像を造り、現在地に薬師堂、本堂を建て経誉愚底により浄土宗医王寺として寛正2(1461)年に開創された。 愚底は信州洗馬の人で、増上寺三世聖観の高弟であった。薬師信仰を持った愚底が、当時薬師霊応の地であった鷲野谷の地に来て、旧薬師堂を再興し、念仏弘通の為浄土 |
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宗とした。小金城主高城氏は愚底上人に帰依厚く、その家臣六騎が鷲野谷に住して檀徒となったと伝える。その後、東漸寺その他の寺を建て晩年、医王寺に帰って永正14年示寂した。境内奥には愚底の墓所、墓碑が遺されている。浄土宗であるが、寅年 |
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ごと12年に1度薬師開帳が勤められている。この薬師如来は民衆からの帰依を集め遠隔地から参詣する信者も多く、江戸時代以来、門前には旅籠が数軒あった。眼耳の病を治す現世利益の信仰が続いてきた。延享元年二二世智恵海代に薬師堂の大修理の棟札が存在する。また昭和49年開帳に、薬師像を修理した際、大仏師春慶作、長禄2年11月の墨書銘が発見された。 |
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また当寺檀家より、明治大正期の念仏者山崎弁栄が生れ、全国各地を巡錫して光明会を作り念仏を弘めた。現在当地でも奉賛会が催され、六十回忌を記念して、昭和54年に大顕彰碑が建立された。 当地には、新四国八十八所霊場があり、薬師を祀るところから八十八番結願寺となっている。 |
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(東光山 医王寺 安楽院 03.03.10掲載) |
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