領家山 稱名寺 東総組 131 |
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当寺はもと北条・千葉両家の祈願所であった。後に千葉家の後見四天王の随一と云われた木ノ内壱岐守の嫡子・右馬ノ助が干潟開発祈願のため、また戦死した父壱岐守の菩提の志のもと、除地10町歩を寄進し、鎌数の地に移して再建した。依って山号の「両家山」(後に領家山と称す)と号す。爾来、寺運の消長があり、明治末期からは兼務・無住の | |||||||||||||||||||||
時期が永かった。 昭和22年のアイオン台風により堂宇大破の被害を受けたが、第21世中興圓蓮社融譽上人(千野定勝)が規模縮小ながら再建し、さらに昭和62年には本堂全面改築を行 |
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い現在に至っている。 | |||||||||||||||||||||
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 領家山 稱名寺 03.03.10掲載) |
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