梧桐山 檀林寺 (光明院) 東総組 112 |
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寺伝によれば、天平神護2年(766)良辯上人を開山とし、智證大師の中興を経て天台宗寺院となったとされているが、天台時代の記録等は他にない。 その後、堂宇荒廃していたが、正和年間(1310頃)浄土宗名越派祖・尊観上人の弟子大空上人によって再興され、浄土宗寺院となったと伝えられる。 |
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この地は浄土三祖・良忠上人に縁のある鎌倉桐ヶ谷に地形が以ており、大空上人、二世恵観上人の努力で、境内の諸堂が整備され、またこのとき鎌倉光明寺に因み院号を光明院として、僧侶の初期の学問寺院とならんことを願い寺号を檀林寺と号した | |||||||||||||||||||||
といわれる。江戸時代には3つの坊に常時数十人の青年僧が修学・修行していたと伝えられる。 尚、境内には建武2年(1335)銘を最古とする十数基の板碑が点在し、当時の繁栄を知ることができる。 |
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 梧桐山 檀林寺 光明院 03.03.10掲載 |
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