東海山 光泉寺 (龍燈院) 東総組 107 |
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領主・椎名小次郎胤廣が、良忠上人に帰依し、当地に一宇を創建して、上人を開山に迎えた。明治39年に十三間四面の堂宇を焼失して以来、寺に関する文献は皆無となった。東京の錦糸町重願寺(大正大学教授・大谷旭雄住職)の開山上人が、光泉寺にて学問をおさめて、重願寺を開いたことが最近判明した。『浄土傳燈総系譜』(巻中・87頁)によ | |||||||||||||||||||||
ると、是哲上人といい、源譽存應の弟子で、本蓮社願譽是哲と号し、椎名氏の出身であり、光泉寺において剃髪出家得度したのである。現在でも、量性院・観音院・地蔵院と三ヶ寺を兼務し、記主禅師四八宇の法灯を堅持している。なお山号は「城戸山」とも | |||||||||||||||||||||
号した。 | |||||||||||||||||||||
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 東海山 光泉寺 竜灯院 03.03.10掲載) |
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