遍照山 淨土寺 (歸命院または光明院) 東総組 104 |
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寺伝によれば、天正7年(1579)矢作城主・国分大膳胤政を開基に、奥州磐城の生れ、存把上人の弟子であった南蓮社人譽上人が開山となり創建された。その後、新城主となった鳥居彦右衛門尉の菩提所となり、寺領を加附されたと伝えられるが、再三の火災により、その後の事は不明である。 現存する梵鐘は、城主鳥居彦右衛門尉が |
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磐城へ処替えの際に寄進された鎌倉時代の古鐘で、慶長7年(1602)6月12日に磐城より当寺にもたらされたものである。銘文には、建長6年(1254)・貞和5年(1349)の年号等のほか、当寺への寄進の旨、人譽上人のことなどが刻まれている。 |
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この鐘は大平洋戦争の時にも、貴重な文化財として供出をまぬがれている。 なお、当寺墓域内に文永8年(1271)・永仁6年(1298)・至徳3年(1386)などの年号を刻んだ板碑があること、前記梵鐘の銘文から、開基は鎌倉中期以前にさかのぼり、慶長年中に人譽上人を中興開山として招いたと推察する説もある。 |
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 遍照山 浄土寺 帰命院または光明院 03.03.10掲載) |
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