中根山 極樂寺 (光宗院) 組 101 |
|||||||||||||||||||||
当山は、蓮沼村のほぼ中央に位置し、浄土宗三祖・記主禅師の開基による。即ち記主禅師が諸国巡化のおり、下総鏑木の光明寺で浄法を説教していた頃、時の蓮沼の領主・石橋丹後守(上総介平広常の孫・光宗。祖父広常が戦いに敗れたとき、家老・由井兼房等従者20数名に伴われ当地に落ちのび中根に館を築き、家臣もそれぞれ附近の新地 | |||||||||||||||||||||
を拓いて子孫繁栄し、現在の蓮沼の基となった)が手厚く禅師を招聘し、館の近くに寺宇を建立した。ちなみに禅師が当地に於て善男善女を集め説法をした時、かたわらの蓮沼池の蓮華が今を盛りと咲き乱れ、あたかも極楽浄土のありさまであったので、 | |||||||||||||||||||||
寺名を「極楽寺」と号し、更に地名を蓮沼と称するに至った。また更に院号を「光宗院」山号を「中根山」と称する。(院号をその後弘安年間に一宇を建立したので「弘安院」と称する事もあった)。当寺は明治時代まで蓮光寺・蓮花寺.薬王寺・清浄院・超勝寺・東光院等々の本寺として威勢を誇っていた。又明治8年には蓮沼村役場の前身である扱所の庁舎に使用され、明治17年戸長役場に変更、明治 | |||||||||||||||||||||
22年4月市制町村制施行の際も役場庁舎として、またその後は高等補修学校としても使用された。 | |||||||||||||||||||||
(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 中根山 極樂寺 光宗院 03.03.10掲載) |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
Copyright (c) 2003-2011 Jodo-Syu Chiba-Kyoku, |
|||||||||||||||||||||