野中山 善雄寺 (寶樹院) 東総組 96 |
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小見川領主・粟飯原左衛門尉平孝宗の家老・成毛對馬守が大檀那となり開基した。板碑八基が境内墓地にあり(絵文字の板碑 あり)、本堂の本尊・木造阿弥陀如来坐像は高1.76mの坐像で丈六という。ヒノキ材の寄木造で、胎内に南無阿弥陀佛の称号を数多く有していた。漆箔を押す定印を結んで彫眼に白毫肉髻に水晶をはめこんである。奥州 |
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伊達郡霊鷲山より出現の慈覚大師の作とある。(昭和33年4月23日千葉県有形重要文化財指定)。 山門に掲くる所の「野中山」の扁額は、総本山知恩院大僧正・順真上人の筆である |
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。末寺7寺を管していた。天鷹寺(廃寺)・月光寺(廃寺)・実相寺(合併)・長福寺・調法寺・浄光寺・正福寺(合併)である。 江戸幕府より石高500石をうけた江戸田付四郎兵衛家(砲術師)の田付景治大居士墓石がある(寛永14年3月14日没)。 |
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 野中山 善雄寺 宝樹院 03.03.10掲載) |
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