出水山 覺翁寺 (善福院) 千葉組 91 |
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本尊は阿弥陀如来三尊来迎立像で、慈覚大師の御作である。開基・植村土佐守泰忠公は、遠江国より当地に封ぜられるや、町開発と共に信篤く、浄林寺を創起せられ、領主植村家歴代之菩提所と定められた。その後、寛永11年、第二代・泰勝公他界の折、幼名「覚翁丸」より取名して現今の覚翁寺と改称し、現地に移り境内寺領追加加増せられ | |||||||||||||||||||||
た。寛文6年3月、第四代・忠朝公は諸堂舎を建立したが、享保15年10月16日、町方よりの出火により堂宇残らず焼失した。後、六世・懐賢代の元文4年に上棟、第六代・恒朝公が再建し、寛延4年に至る150年間は領主の保護受けて法燈の興隆を極めた | |||||||||||||||||||||
が、明治維新以後は衰微甚しく荒廃した。 明治40年11月、前住十五世・戒譽大忍の晋山以来、鋭意復興に努め、同44年の明照講創立をはじめ大正9年3月山崩災害復旧修築、4月鐘楼堂改築。昭和4年4月には旧領主・植村裔孫・澄三郎氏の助力を受けて本堂の大修繕をなし、さらに37年、元祖750年遠忌にあたっては発願して梵鐘再鋳成就する等々、中興の業となった。 |
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昭和53年4月現住は、庫裡・会館を建設し、同55年3月には善導大師1300年遠忌事業として山門修復を完遂して今日に至っている。 なお、前庭には町唯一の飲料水たる清泉茶水井があり、通称、「茶水寺」とも云われている。 |
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 出水山 覚翁寺 善福院 03.03.10掲載) |
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