龍光山 櫻谷寺 (行信院) 千葉組 85 |
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大多喜城の城主となった本多忠勝公が、母のために開基となって、万木桜谷に建立し、五年後に現在の地に移した。開山の虎角上人は名僧の誉れ高く、桜谷寺の裏を流れる夷隅川の対岸、小高いところに念仏道場として、通称「無縁堂」を建立した。現在その丘は平地となっており、その面影は全くない。門前の地蔵堂には、町指定文化財の石造地蔵 | |||||||||||||||||||||
像が安置されているが、江戸時代当山在地の久保町篤信家の手により建てられた物で、その台座は堂の床下にある。明治大正時代には毎月24日に地蔵縁日が開かれ、大変な賑わいを見せていたとの記録がある。本堂は江戸時代に大火にあい、さらに、 | |||||||||||||||||||||
昭和45年大多喜町を襲った集中豪雨の為夷隅川が氾濫し、夷隅川の恒久的対策として堤防を築くために、本堂の移転を余儀なくされたが老朽化により改築再建することになり、昭和48年8月、落慶の運びとなり現在に至る。 | |||||||||||||||||||||
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(竜光山 桜谷寺 行信院 03.03.10掲載) |
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