歸命山 長樂寺 (無量光院) 千葉組 83 |
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当山の阿弥陀仏は、現在の長生郡睦沢村長楽寺より、大多喜町小土呂を経てこの地に移されたものである。 ときに徳川家康公の武臣・本多忠勝公が、関ケ原の武勲により大多喜城主に封ぜられるや、城の鬼門にあたるこの地に、当院を建て、彼の阿弥陀仏をもって忠勝公一代の守り本尊とせられ、霊験あらたかなものとして信 |
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仰した。 なお、往時は善応寺・称名院の二ヶ寺を末寺としていた。 |
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 帰命山 長楽寺 無量光院 03.03.10掲載) |
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