金剛山 西福寺 (願生院) 千葉組 74 |
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開基良榮上人は、後光厳天皇の時代、応安年間に当寺を開基し、自ら念仏修行を怠らず民衆を念仏門に導き得脱せしめようと日夜努めていた。しかし民衆は放逸邪見で化導の益を挙げることはできなかった。上人は、鹿嶋明神に参籠し37日を断食して満願の夜のお告げに「冠をいただき、白装束を着し、鐘鼓を鳴らして踊念仏すべし」とあった。 | |||||||||||||||||||||
帰国後、教えのとおり踊念仏を修したところ、邪見なる民衆も招きもしないのに集って来て、踊念仏し帰依信仰した。爾来、遠近の善男善女40ヶ村余は、念仏講を結び、毎月15日に踊躍念仏して大いに教化の実を挙げた。(当寺四世弁審上人の誌するところ | |||||||||||||||||||||
で文書は現存している。) | |||||||||||||||||||||
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 金剛山 西福寺 願生院 03.03.10掲載) |
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