亀澤山 清光寺 (孤峰院) 千葉組 73 |
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月峯和尚を開山とする。天文年中、二世・峯譽無算和尚は彼地にて廣忠公の厚恩を蒙り死去火葬の砌、家康公より御分骨を拝講した。天正年中、関東に下向して当寺に住し、山内に尊骨を安置供養していたところ、天正19年11月、家康公上総東金へ鷹狩の折、当寺に一泊して霊廟の印に厚朴を栽植し、あわせて高50石を供養料として寄進され、佐倉 | |||||||||||||||||||||
代々の城主は、将軍の命に依り、廟所の修履の役に任ぜられたといわれる。 当寺の創立年代は、つまびらかでないが、弘治元年(1555)ともいう。明暦年中火災を蒙り、寺宝・記録等を焼失した。十二世・信譽和尚代、天保年中、佐倉城主・大久保 |
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加賀守は72坪の堂宇を建立寄進した。その後大正9年、26世・實譽上人が、向拝を新築し、同時に本堂屋根模様替の大改築をなしたが、落成前に寂した。二八世・明譽上人が、先々代の遺志を嗣ぎ、落成慶讃をなした。昭和21年先代遷化により、二九世となり先師の遺志を継いで法灯を守る。大本堂と庫裡の荒廃は甚しく数度修理を重ねてきたが、さらに55年より大改修を計画し、浄財1千 | |||||||||||||||||||||
万円の勧募をはじめ、寺有財産を8千万円にて処分し、代替地にして山林2反7畝を購入して現在着々と改修事業が進行している。 | |||||||||||||||||||||
(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 亀沢山 清光寺 孤峰院 03.03.10掲載) |
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