光明山 胤重寺 (智窓院) 千葉組 66 |
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開山・雲巖上人は、祖師・法然上人、鎮西聖光上人の法孫で、俗籍は当国旧領主・千葉介常胤の四男・武石三郎胤重の末孫であり、武石三郎胤盛の舎弟である。祖先「胤重」の菩提のため、永禄元年当寺を建立して「胤重寺」と号した。 境内には、千葉県文化財「戸塚揚心流祖戸塚彦介英俊、二代彦九郎英美の墓」があ |
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るが、英俊は、文化10年(1813)江戸西大久保に生れた。父より術の皆伝を受けて幕府の講武所初代教授となり、さらに千葉県巡査教習所で柔術師範を勤めた、近世乱取り中興の祖といわれる。市内寒川町に寓居し、明治19年、78才で寂した。また、英 | |||||||||||||||||||||
美は、大日本武徳会最初の柔道範士で、市内通町に道場を開き、柔道の普及につとめた。明治41年寂。 | |||||||||||||||||||||
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 光明山 胤重寺 智窓院 03.03.10掲載) |
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