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龍雲山 圓天寺 (寒風院)  千葉組 64

 当山は、元亀3年(1572)存把上人によって創立、下総国印旛郡山田村字寒風に建立されたと記録されている。後、享保13年(1728)に現在地に移されている。これは九世見譽上人の代と思われる。文政七年(1824)に火災に遭い、鐘楼を残すだけで他の建造物は全焼した。十八世仁譽上人の代の文政10年前に再建され、以降改築増築を経て今日に
至っている。
 開山存把上人は、天文4年(1535)相模国に生まれ、9歳の時、生実大巌寺の道譽貞把上人の門に入り、出家・教学の探求に努める。後、京都に上り、天台・真言の教意をも探求されて、再び関東に帰られた。帰られて最初に開かれたのが当山である。
その後、現茨城県の飯沼弘経寺(檀林・現水海道市)の九世となる。だが、天正年間に多賀谷氏と北条氏の戦いで、飯沼弘経寺は火災に遭い、存把上人は結城にのがれ、その地の結城秀康の厚い帰依を受け、文禄4年(1595)飯沼弘経寺と同名の弘経寺を結城に開かれた。晩年、慶長9年(1604)に檀林・瓜連常福寺の十三世となったが、その年70歳で入滅された。
 当山の開基は武田氏と伝えられるが、詳細は不明である。ただし現在も寺紋として武田菱が使われている点を考えると、記録は残されていないが、何等かの関係を示すものではないかと思われる。

(龍雲山 圓天寺 寒風院 03.03.10掲載)


開   山
 檀譽存把上人
開創年次
 1572年(元亀3年)
現 住 職
 早野 学洞
指定文化財
  
年中行事
 大施餓鬼会(8月18日) 他
事業活動
 
住   所
 印西市山田878−1
電   話
 0476−98−0401
交   通
 地図

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