林海山 別願寺 安房組 59 |
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当山は、寛政3年(1791)9月4日の台風及び大津波により、堂宇・什物すべて流出、明治40年(1907)保田の大火により類焼、大正6年(1917)10月1日の台風と三度の災害をうけ古記録は存在していませんが、靈巖上人伝記によれば、一寺もない保田の地に、一村評議して堂宇造営を願い出、元和4年(1618)冬より翌春にかけて落慶し、琳海山別願院と名付 | |||||||||||||||||||||
けられる。供養の為に、七日七夜の別時念仏及び説法がなされ、沢山の人々が参集し弥陀の本願に帰依された。又上人は円光大師念仏弘通の為に大師二十五霊場を房州に建立され、当山は十二番霊場、「やわ和らぐる神の光の影みちて秋にかはらぬ | |||||||||||||||||||||
短か夜の月」となっている。 浮世絵の開祖菱川師宣の菩提寺であり、師宣が父の三十三回忌の為に寄進された大梵鐘があった。が、太平洋戦争のために供出されてしまった。 元禄16年(1703)の大津波の犠牲となられた保田浦の人達319人合祀した元禄海嘯(かいしょう)菩提地蔵尊が境内に安置されている。 |
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尚現在の本堂建物は昭和62年4月再建落慶したものです。 | |||||||||||||||||||||
(林海山 別願院 03.03.10掲載) |
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