玉龍山 遣水寺 (淨喜院) 安房組 52 |
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開山傳譽上人は、里見公の藩士・長谷川行房の三男で安房国安房郡新井里に生まれ、幼名を千代司といったが、元和元年(1615)9月、主君落徒の時、一族皆離散のやむなきに至った。父・行房は姓を川名と改め、平群本郷村に移住した。程無く長男・真行が家督を相続し、川名半右衛門真行と称した。父の行房は素より仏教を信ずる心が | |||||||||||||||||||||
篤かったが、特に隠棲後は、竹岡村松翁院五世・相譽上人に深く帰敬し、ついに三男・千代司を得度させて、僧名を檀了とした。檀了は、正保元年(1644)5月、松翁院六世となって21年間在住した。また一方、次兄・伝左衛門は、傳譽上人に帰依し、受戒し | |||||||||||||||||||||
て法名を浄喜と称した。浄喜は、同村字遺水に於て福原宗右衛門なるものの所有地・8畝18歩を買い求め、寺地となし、堂宇を建立すると、寛文6年(1666)2月、弟檀了を招請して開祖となした。これが「玉龍山淨喜院遣水寺」である。檀了は、以来14年間在住し、延宝2年(1674)6月26日、80才にて入滅した。 その後、十一世・相譽祖真の代に至り、天明5年(1785)11月、類火のため本堂・庫裡と |
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もに焼失したが、翌6年(1786)2月、今日の堂宇を再興し、昭和39年(1964)これに大修理を施して現在に至っている。 | |||||||||||||||||||||
(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 玉竜山 遣水寺 浄喜院 03.03.10掲載) |
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