華王山 淨蓮寺 (清台院) 安房組 44 |
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本尊阿弥陀如来。北条村(館山市北条)金台寺末で後水尾帝の勅命により、開山上人を布教のため当地へ派遣され、多くの村民の帰依するところとなる。その時の名主.生稲兵工門は、大旦那となって敷地を寄進し、九間に八間の本堂を創建して「華王山清台院浄蓮寺」と号した。 元禄の大津波により本堂.古記等を流失し |
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詳細は不明である。万延元年(1860)三月本堂を再建したが、関東大震災により全壊、庫裡のみ再建して暫時一室に本尊を安置した。 以来、無住の状態が続いたが昭和11年2月十五世毫誉定戒上人が入山して再興を |
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計画するも、大東亜戦争のためにその願いもままならず月日は流れた。たまたま昭和36年に宗祖法然上人750年大遠忌を迎えるに当たり、檀信徒と相計り十方有縁の翼賛を仰ぎ、本堂の新築、庫裡の改築を発願し、昭和34年11月永年の宿願が円成する。 昭和63年1月当山十五世定戒上人遷化により、同年4月現明誉農定が住職として書山し、檀信徒の浄財を受けて平成7年11月客 |
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殿、翌年6月庫裡の新築を完成させ現在に至る。 俳人.一茶は文化年間にたびたび安房に足を延ばしており、その折には当寺を宿としていたようである。一茶44才の折には当寺に8泊して何句か詠んだ記録が杉谷徳蔵先生の著書「小林一茶と房総の俳人たち」にある。 |
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(華王山 浄蓮寺 清台院 03.03.10掲載) |
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