佛法山 大巖院 (大網寺) 安房組 40 |
|||||||||||||||||||||
当寺は、佛法山大網寺大巖院と号し、慶長8年(1603)安房国主里見義康公(里見氏九代)の帰信によって、雄譽靈巖上人を開山として建立された。もと、末寺18ヵ寺、配下の寺7ヵ寺を擁し、房州における浄土宗の触頭の寺であった。 本堂は、雄譽上人によって建立されたが、完成すると四十八夜の別時念仏を厳修し、 |
|||||||||||||||||||||
別時が終わって、上人自ら「大巖院」の三字の横額をしたため、本堂正面に偈げられている。 また、上人は遺弟のかたみ、末代永く結縁のために等身の寿像を作らせ、自ら開眼 |
|||||||||||||||||||||
供養された。現在も本堂内に安置されている。 安永元年(1772)第八世到譽上人の代に茅葺で間口9間、奥行8間、向拝3坪の現在の本堂を再建したことが、棟札によって知ることができる。 昭和29年には庫裏を、昭和39年には本堂を改築した。 さらに、開創400年記念事業として、平成 |
|||||||||||||||||||||
11年には客殿を建立、平成14年には納骨堂を建立して、今日に至っている。 なお、元和10年(1624)に建立された県指定文化財「四面石塔」については、不明な点が多かったが、平成14年3月館山市で開催された「日韓歴史交流シンポジウム」で主要テーマとして取り上げられ、内外の注目を浴びた。 |
|||||||||||||||||||||
(仏法山 大巌院 大網寺 03.03.10掲載) |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
Copyright (c) 2003-2011 Jodo-Syu Chiba-Kyoku, |
|||||||||||||||||||||