光勝山 西行寺 (慧心院) 安房組 39 |
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当山の開山は翁公上人、開基は一条天皇長徳2年(996)で、恵心院源信僧都56歳の時に、この地に至り庵を結び教化された。その後奈良東大寺の大仏大修理のおり、西行法師が勧進の為、奥羽藤原氏のもとに旅だった際この地に立寄り旅の疲れを癒す為西行庵を結んだ。4年経過後、この地の豪族で歌道の門人、且源頼朝公の家臣安西家の安房 | |||||||||||||||||||||
三郎時重の寄進により、西行庵を修復して、西行寺として頼朝公の朱印をいただいた。その後安西光勝が天正18年(1590)本堂諸堂を建立したが、里見家と合戦に及び破れた為、寺も寂れ果ててしまった。しかし里見家も徳川家康に滅され、徳川に依る | |||||||||||||||||||||
江戸開府後間もなく、浄土宗大本山増上寺の末寺として中興、慶安2年(1649)奉行所に提出霜月29日に御朱印の記録が残されている。江戸時代も、天災にあいいく度か被害を受けたが、江戸茅場町薬師院等で西行法師像や薬師像など(いずれも現存)開帳されたりして、その度に再建や修理され今日に至って居る。 |
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主な古文書 ● 西行因縁記(幸西六年改訂) ● 記立書及び西行寺記録(元禄八年改訂) 寺宝 ● 阿弥陀三尊 ● 西行旅僧立像 ● 西行自筆篇額 ● 薬師如来像 |
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(光勝山 西行寺 慧心院 03.03.10掲載) |
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