海養山 金臺寺 (龍勢院) 安房組 38 |
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当寺は、鎌倉光明寺の学頭・昌譽琳道上人を開山とし、後土御門天皇代・文明8年(1476)の創建で海養山金台寺と号す。 第四世中興・豪譽九把上人は、館山城主・里見義康の伯父に当たり、里見家の尊崇も厚く、寺領60石・仏餉米50俵を賜わった。豪譽九把上人は、在住24年、浄土の宗義を究め、無学文盲の者にもわかり易く念仏の有 |
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難さを説いたので、浄土宗に入る者も多かった。 六世・檀譽上人は、家康の室・良雲院殿の実弟であった関係で、徳川家の庇護を受け、知恩院の直末ともなり、末寺十余ヶ寺を擁した。檀譽上人は、その後江戸西福寺 |
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に転住、さらに大本山金戒光明寺の住職となった。 大正12年の関東大震災で、本堂が崩壊したため、中川佛山上人が本堂の再建を念願し、昭和2年建坪80坪の大殿を完成させた。この本堂も老朽化したため、再建を企画し、昭和45年檀信徒の協力を得て建立した。 また、昭和56年法然上人生誕850年記念事業として、不動堂を建立、わらべ不動として |
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檀信徒に親しまれている。 | |||||||||||||||||||||
(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 海養山 金台寺 竜勢院 03.03.10掲載) |
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