壽慶山 心巖寺 (光明院) 安房組 37 |
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当山は、文永2年(1256)記主禅師が安房国北風原村に創立し、天正5年(1577)里見氏の一族・正木石見守道俊とその妻(里見義弘の女)が、禅師の風に帰依し、磯村に移転開基したものである。 中興開山は、大誉義山上人である。 以来、寛政11年の火災・大正の震災等に遭って荒廃、本堂内陣から月を見ることが出 |
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来たと言う。 そこで昭和5年(1930)第二四世の達穏上人が、現在地(鴨川市貝渚2002)に移転開山して今日に至っている。 |
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現在の住職は心巌寺第二五世である。 「心巌寺の十夜が二度あれば、甚吾さんの頭がざるになる」という唄がある。これは、かつて賑わった十夜の模様を歌にしたものと思う。また、心巌寺は仕事着を貸し出したという古俚も残っている。 ● 磯村の心巌寺いさぁまでは、大きなもおのを貸ぁさるちゅう。さぁらば、おれらも借りましょう。隣の姉御達や、どうなさるう。 |
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● l磯村の心巌寺いさぁまでは、大きなもおのをかぁさるちゅう。さぁらば、おれらもかりましょう。七はぎ八はぎのとぅさぎを。 | |||||||||||||||||||||
(寿慶山 心巌寺 光明院 03.03.10掲載) |
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