三寶山 勝隆寺 (本誓院) 君津組 30 |
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天正18年(1590)、馨崇山善昌寺・説蓮社演譽馨香上人を開山とし、佐貫城主・内藤家長公を開基に、花香谷に創建された。 当時、三世・雄譽靈巖上人(知恩院第三二世)は学寮を開設して徒弟を育成し、城主の保護と相俟って当地浄土教発展の基礎を固くしていた。 その後、松平勝隆公城主となり、菩提寺に |
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定めた。次の松平重治公は寛文6年(1666)父君・勝隆公の菩提を弔うため『覺雲山・勝隆寺』と改称した。 一方、瑞龍山・三寶寺は、永禄2年(1559)、貞譽祖閑上人を開山とし、里見安房守義 |
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弘公を開基として佐貫に創建されたが、明治31年(1898)、二十世・勲譽大倫和尚遷化後は無住が続いていた。 明治45年(1912)、第十八世・晃譽大仙上人が就任すると、大正10年(1921)1月13日、時隆寺と三宝寺とを合併し、寺号を「三宝山・勝隆寺」と改称して現在(元、三宝寺)の位置へ本堂を再建した。しかし大正12年9月1日の大震災の為に倒壊した。そこで大正14年 |
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(1925)、再建工事に着手し、翌年12月、本堂の落慶をみた。 また、昭和28年(1953)には、亀田の末寺・光源寺を併合して今日の姿となった。 |
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 三宝山 勝隆寺 本誓院 03.03.10掲載) |
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