根本山 湊濟寺 (山王院) 君津組 28 |
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「湊済寺縁起」(寛保二年戌三月記)の伝えるところによると、元和元年(1615)、総本山知恩院第三二世・雄譽霊巌上人が開山となって創建された。創建の由来は、慶長年間に、湊地方に疫病が流行して村民が全滅の危機に瀕したおりに、佐貫花香谷村善昌寺(現在の勝隆寺)の住職であった雄譽上人の、念仏感化と、祈祷を授かることによって、 | |||||||||||||||||||||
村民たちは悲境から救済された。上人は、ここに念仏弘道の道場を建立することを発願し、村民の田園の寄進によって、当寺は開創されるに至った。 創建当初は、現在の上総湊駅附近の根本という所に建造された、山号の「根本山」 |
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はこれに当り、院号の「山王院」は、根本の境地にあった山王神社の名に由る。また、寺号は、当地「湊」の村民が「救済」されたことに因んで「湊済寺」と命名されたと伝えられている。 歴代住職の中、特に昭和11年大本山増上寺八一世・清譽上人より中興号を賜った第十五世・忠譽静祥の本堂・庫裡・山門等の再建の功績は目覚しいものがある。忠譽は、関 |
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東大震災のために破損した諸堂を見て、その改築を志し、檀信徒との協議を経て、資金の支援を得たが、少檀であるために、公衆勧募を企画した。そこで昭和3年8月、時の県知事・福永尊介より寄付金募集の許可を得、3ヶ年間にわたって千葉県全土をめぐり、有縁の道俗の助力を仰ぎ、遂にその志業を完遂した。 以後当山は、境内の風致を改修して寺の外容を整備する一方、教学と教化の振興にも尽力して、開山・雄譽上人の念仏弘通の道場たるべき遣志実現への努力が払われつつ今日に至っている。 |
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 根本山 湊済寺 山王院 03.03.10掲載) |
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