福聚山 淨信寺 (泰嶽院) 君津組 26 |
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慶長6年(1601)開山・心譽春諦上人が観音堂守護として掛錫中、専ら法爾を注ぎ大仁村民の帰依を受け一寺を建立し、福聚山・泰嶽院・浄信寺と号した。 元禄9年(1696)、第九世・信譽理碩上人代に飯野藩主・保科弾正景公の帰依を得て、120坪の本堂を再建し、諸堂を新設して隆盛日々に増していった。しかし明治維新と共に |
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藩中檀徒離散し、加えて大正12年(1923)9月1日の関東大震災の厄に遭い、本堂はじめ諸堂全滅の状態に陥った。 昭和4年、第二十世・心譽禅恵上人の発願により、近代的建築を以って本堂の再建 |
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復興を企て、同年5月起工、同年12月竣工、昭和5年2月入佛式を挙行して、ここに荘厳な寺観を呈するに至った。 戦後の諸改革により田畑・山林を多く失い境内地・境内建物だけとなったが、檀信徒の護寺協力によって現在に至っている。 |
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 福聚山 浄信寺 泰嶽院 03.03.10掲載) |
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