始覺山 本覺寺 (海上院) 君津組 24 |
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上総国天羽郡竹ケ岡・松翁院末寺で、開山・檀蓮社雄譽上人が、元和年中、念佛弘通−当地滞留中に建立した。その後、上人は東京深川・霊巌寺を開創し、寛永18年(1641)9月1日、総本山・知恩院住職中入滅された。 檀徒の80パーセントは、漁業に従事していたが、時代の波により最近では、第二次・第 |
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三次産業者も多くなって来た。附近にある鋸山より産出する凝灰石(房州石)による土木・建築が盛んで、当山の建築物にも房州石が多くつかわれている。 | |||||||||||||||||||||
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 始覚山 本覚寺 海上院 03.03.10掲載) |
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