鷄頭山 選擇寺 (西休院) 君津組 21 |
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鎌倉光明寺・観譽祐崇上人が上総の地を巡錫の折、当地に庵があり西休院と称していた。ここに仮の宿りをしたところ、周囲に竹林があって、その中の松の老樹の枝に、早朝一羽の鶏がとまって鶏鳴(とき)をつくっていた。その音声や美観風光実に一幅の絵画を思わせた。ここに於て、中国の「鶏頭山」の故事を想い、「鶏頭摩寺」の故事等を偲んで | |||||||||||||||||||||
一宇を建立し選擇寺と号した。享保7年(1722)の火災を初め再三罹災焼失したが、関東大震災後の禅應時代(1931)に、鉄筋による現本堂を建立した。(浄土宗辞典・蓮門精舎旧詞・千葉県史等による) | |||||||||||||||||||||
境内にわらべ地蔵尊および玩具塚などがあり、童心をはぐくみ育て、人々の信仰を集めている。歌舞伎「世情浮名横櫛」で名高い源治店の通称「こうもり安」の墓もある。近世に到り寺子屋などの教育活動もあり、明治の初めには幼稚園がこの寺に開かれたこともある。現在もまた幼児教育や青少年教化のために社会に奉仕している。本尊は慈覺大師御作と伝えられ、1年1回御開帳が行われ | |||||||||||||||||||||
る。なお詳しくは当寺発行『選択寺歴代上人の事跡』を参煕されたい。 | |||||||||||||||||||||
(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 鶏頭山 選択寺 西休院 03.03.10掲載) |
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