普戴山 大乘寺 (源光院) 君津組 19 |
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当山は、慧心僧都が東国を遊化された際に、大野某という人の請に応じて、大貫の庄に開創された。その後に、天台宗から改宗し、秋元の庄(周准郡貞元村中富に今も「伽藍の原」と称する原野がある)に移された。たまたま戦火にあい、風戸(周准郡富津村原水主町)に移転された。後さらに転じて現在の地に定着し、遂に浄土宗の寺院となり、相譽 | |||||||||||||||||||||
上人を開山とする。 寛永17年11月堂宇が焼失し、この時、古記録等ことごとく灰燼に帰した。従って沿革に就ては不明な点が多いが、慶安元年、幕府より御朱印十七石を賜わっている。 |
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なお境内には、小林一茶と親交のあった女流俳人・織本花矯の墓石(千葉県文化財指定)がある。 |
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 普戴山 大乗寺 源光院 03.03.10掲載) |
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