法光山 最勝院 (聚楽寺) 葛南組 17 |
|||||||||||||||||||||
当山は、寛永年間(1624〜1643)の初頭、浄勝寺住職大超(潮?)上人により塔頭として創建されたと伝えられる。慶安年間、中興開山但譽了受大徳により堂宇の再建がなされた。 明治20年頃、浄勝寺塔頭から独立寺院となり、尋蓮社聲譽察音上人(明治25年12月13日没)の手により、堂宇の改修が行われ、 |
|||||||||||||||||||||
その後、昭和34年、正蓮社覚譽上人(千野定戒)、昭和49年、中興圓蓮社融譽上人(千野定勝)により堂宇の整備がなされるとともに教線の拡張が図られた。 平成14年、現住第21世・信蓮社明譽法人代にて堂宇全面改築がなされ、これを記 |
|||||||||||||||||||||
念し寺号を「聚楽寺」と称するに至った。 | |||||||||||||||||||||
4 | |||||||||||||||||||||
(法光山 最勝院 聚楽寺 03.03.10本文掲載 03.05.30本尊写真改訂) |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
Copyright (c) 2003-2011 Jodo-Syu Chiba-Kyoku, |
|||||||||||||||||||||