福寶山 西棲院 (專精寺) 葛南組 13 |
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当院はその昔、東京浅草にあったが、その後本郷に移転し、天明の大火に焼けてから本所太平町に移り、さらに大正12年(1923)の大震災を蒙って昭和3年(1928)現地に移転した。その創基は元禄元年(1688)、即ち今より315年前、猛譽上人の開基にかかり、初めは開山堂であり、のち隠居所式の別院となっていたと称せられる。度々禍殃の災を | |||||||||||||||||||||
蒙っているため、記録の残存するものなく詳細を知り難いが、寺格高く御朱印等も多くあったと伝えられる。 別に上州太田大光院・呑龍上人の御分身を奉安し、子育て開運等に太田の呑龍様と寸分と変らぬ御守護あるため、昔からの信仰者で遠くよりたず | |||||||||||||||||||||
ねて参詣に来る者が多かった。 |
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(福宝山 西棲院 専精寺 03.03.10掲載) |
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