松柏山 清岸寺 葛南組 11 |
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往昔の当境内地は荒蕪不毛の地で、妖怪化生の出るよな所であった。高齢(百歳)の忠殘はこれを憂え、弟子の浄土宗総本山西京智恩院住職・然譽了鑑上人に諮り、同寺末の念仏道場一宇を建立したと伝えられる(知恩院山史)。 開山忠殘上人は、現在の市川市高谷の出身、同市内徳願寺開山不殘和尚の弟子として出家、芝増上寺ならびに鴻 | |||||||||||||||||||||
巣勝願寺に学び、市川市香取源心寺二世となり、同寺在住49年、寛文11年(1671)清岸寺にて入寂(97歳)(増上寺史料集)。 第二三世諦譽恭祐上人は、青森県木造町の出身で、第二次大戦後の荒廃した世 |
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相にあって出世不動尊」を開眼、毎月27日を縁日として町民の参詣多く、露天商で賑わう。昭和35年庫裡改築、さらに同46年本堂再建を発願、同48年、増上寺八三世徹譽法道上人導師の下に落慶した。同53年八四世明譽實鷹上人より「中興」の号を授けられた。昭和54年4月、在住31年にして入寂、62歳であった。 | |||||||||||||||||||||
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 松柏山 清岸寺 03.03.10掲載) |
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