十方山 大徳寺 (攝取院) 葛南組 7 |
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大本山増上寺直末である。 増上寺第三十六世祐天上人下総行脚の際、当寺に立ち寄られ、命により享保元年河原村の道喜より鐘が寄進され、往時は時の鐘として、江東、葛飾一帯にわたる庶民の刻限を知る唯一の信仰の的となっていた。 祐天上人御親筆による御名号、寺号、鐘の免許等があったが、明和年間の(1764)の火 |
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災により焼失、更に明治十八年(1885)江戸川航路の蒸気船による沿岸一帯の大火災による類焼にあい、寺宝全てを焼失した。 鐘は若干ヒビ割れとなったが鐘楼堂と共に残った。 |
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この鐘は昭和十八年(1943)大東亜戦争の強制供出させられた。 現在は鐘楼堂、釣鐘ともになし。 境内に水子地蔵尊が奉られ、この世に生を受けながら幼くして死を迎えた赤ん坊、不幸にしてこの世を見ることなく葬られた赤子にたいする供養を毎月二十四日に供養をしている。 「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば生まれぬ |
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先の父母ぞ悲しき」 | |||||||||||||||||||||
(十方山 大徳寺 摂取院 03.03.10掲載) |
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