光縁山 大蓮寺 (勢至院) 葛南組 1 |
|||||||||||||||||||||
1544年(天文13年)に、小田原の大蓮寺の行脚僧・覺譽存榮上人が浦安に参り、当地にあった勢至菩薩像の小堂に参拝し、堂宇を建立し大蓮寺と名付け開創した。 五代頓譽檀歴上人の弟子に學譽上人がおり、勉学の功つもって小石川の伝通院・結城の弘経寺・鎌倉の光明寺の住職を経て、増上寺第三九世の法主になり、浄土宗縁山伝 |
|||||||||||||||||||||
の基を確立し、大僧正となった。演蓮社學譽大僧正生阿一呼冏鑑大和尚と号した。 久助稲荷の伝説は、學譽大僧正が当山で勉学中の頃、稲荷神社に願かけして出世し、増上寺の法主になられた時、大蓮寺に住んでた久助爺が學譽上人の夢中に現 |
|||||||||||||||||||||
れ、稲荷社の再建を願い出た。學譽上人が調べると、久助爺はすでに15年も前に亡くなっていた。稲荷の身代わりとなった久助の志に驚き感心して、伏見の稲荷社より正一位の位をいただいき、久助稲荷と名付けたと伝えられている。現在も、毎月18日に祈願会、5月には大祭が開催される。 鐘楼堂は、明治16年の建立で、裏門は300年以上前の大名黒田藩・江戸屋敷の門を拝 |
|||||||||||||||||||||
領したものである。現本堂は7間四方で、昭和2年の建立であるが老朽のため平成8年に改修築し、三夜堂と地蔵堂を建立した。客殿を平成13年に再建した。 | |||||||||||||||||||||
(光縁山 大連寺 勢至院 03.03.10掲載) |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
Copyright (c) 2003-2011 Jodo-Syu Chiba-Kyoku, |
|||||||||||||||||||||