求法山 善勝寺 (随流院) 千葉組 68 |
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文久元年(1861)、町内大火の際に類焼し、犢橋村より味噌倉を購入移築して、本堂に代用した。それまで境内にあった釈迦堂・庚申堂・祖師堂などの諸堂宇も、復旧再建の見込みなく、すべて仮本堂に合座した。 昭和36年に至り、現在の本堂・庫裡を建立して、ようやく昔日の面目の一部を回復することができた。しかし、江戸後期、大巌寺に |
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参詣した徳川家一行の道中の、いわばドライヴ・イン的中継地であった当寺の、大きな庭石の数々は、まだ庭の土中に埋められたままになっている。 | |||||||||||||||||||||
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(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より 求法山 善勝寺 随流院 03.03.10掲載) |
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