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金地山 西方寺 (極樂院)  安房組 46

 中興開山は定譽上人で、天文13年(1543)の開創である。同年の火災で類焼し、天正二年(一五七二)再建された。
 しかるに、嘉永5年(1852)4月16日午後10時、折からの烈風下に隣家より出火、たちまち本堂(六間半×六間)庫裡(四間半×六間)を焼失した。
 以後、時の住職・檀家ともに再興の努力を
払ったが時期至らず、ようやく、明治13年7月、檀家および有信の尽力により再建にとりかかり、同年11月落成した。その後、大正12年9月1日の関東大震災には、またもや当寺は倒壊したが、昭和3年7月再建に着手し、昭和4年10月21日に落成、縁山大僧
正・道重證譽上人を請し、入佛供養の大法要を厳修した。
 昭和46年4月、老朽化著しく、檀信徒と図って開宗800年の記念事業の一環として、本堂を再建することになった。9月より建築資金の積立を実施し、昭和48年8月、擁壁工事完成。昭和49年1月より本堂新築工事に着手し、同年6月竣工、同年9月22日落慶法要を厳修することができた。
 また、淡嶋堂は、紀州・友ヶ嶋に鎮座する淡嶋大明神(御神体は二座。一座は少彦名命・本地は薬師如来。一座は神功皇后・本地は観音菩薩)を、弘法大師が高野山開基の時、友ヶ嶋で護摩を修し寿命延長の祈祷をなした。その折、人倫絶えたこの島に鎮座するのでは、衆生の利益も少ないであろうと、高野山北谷照光院に奉持し持念した。元禄9年(1696)に浄土宗に移し、衆生結縁あるべきとの詫誼があり、大阪の圓意和尚が奉持し、奈良・大阪・堺と開帳して京都八坂青龍寺に移住した。正徳3年(1713)、江戸浅草寺に於て60日間開帳し、其の後、諸所で勧請し、三縁山の源流寺に遷奉した。さらに西方寺に留め結縁あるべしとの託宣により、尊体を当山に勧請したものである。(『淡嶋大明神御縁起』より)。

(「千葉県浄土宗寺院誌」(昭和57年刊)より  金地山 西方寺 極楽院 03.03.10掲載)


開   山
 定譽上人(中興)
開創年次
 1543年(天文13年)(中興)
現 住 職
 勝又 俊亮
指定文化財
  
年中行事
 
事業活動
 
住   所
 南房総市原岡76
電   話
 0470−33−2334
交   通
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